院長プロフィール
種山千邦:1955年生まれ
獨協医科大学医学部卒、同大学院終了
米国カンサス大学医学部麻酔学教室留学(1988年~1991年)
麻酔科標榜医
日本麻酔科学会認定麻酔科専門医・指導医
日本ペインクリニック学会専門医・評議員
プロフィール詳細
学位 |
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研究 |
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活動歴・研究歴 | |
趣味 |
《ワインの資格》
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開業医としての自分のあり方
麻酔科への道
父が産婦人科医であったため産婦人科教室に入局しようと考えていました。
しかし産婦人科にはショックがあり、救急医療が必要であるとの助言から2年間の約束で昭和55年獨協医科大学麻酔学教室に入局しました。
決して麻酔学を専攻しようとしたのでもなく、ペインクリニックを黙視したわけでもなかったのですが、それ以来獨協医科大学で6年、信州大学で8年間麻酔学教室に席を置くことになりました。
昭和55年頃の麻酔科はどこの大学でもスタッフが少なく、教授、助教授といえども麻酔をかけ当直までしないと手術をこなせない時代でした。
国家試験に合格し、そんなことを知らずに入局したその日から医局暮らしが始まりました。
本を片手に理屈よりも技術習得にあけ暮れる毎日で、同期入局の2人と衣食住を共にし愚痴をいったり勉強したり、夜間気管内挿管や神経ブロックの練習をし、緊急手術が来るとスーパーバイザーと共に競って手術室に出かけてゆきました。
教授は非常に教育に力を入れており、麻酔中は質問が飛び「馬鹿、とんま、間抜け」と言う教授の口癖が手術室の仲で鳴り響いている毎日で、時にはパンチと蹴りが飛んでくる事もあり(少し大げさ)、外科の先生によく慰められることもありました。
また麻酔科には珍しく教授回診があり、自分の担当した症例について質問され冷汗をかく週末でした。
しかし今考えてみると少数の医局であったためマンツーマンの指導を受ける事となり、しっかりとした基礎知識が残ったように思います。
そんな毎日が続いている或る日、当時注目されるようになった集中治療の確立のため集中治療室への出向となり産婦人科への道は消え去り、信州大学へ移るまで救急医療に携わることになりました。
今の私の医療に対する基礎
その間、奥田千秋教授からアシドーシスになると「何故循環作動薬が効かないのか」と言うテーマを頂き、今放映されているERのような生活の間を縫って、夜間と休日に暗中模索で動物実験を一人で行ない苦労した事を思い出します。
こんな生活をしていましたが、「仕事も遊びも一流に」と言う教授のモットーのもと、入局と同時にゴルフクラブを買わされ、夜は学生時代には飲むことのなかった高価な酒や遊びを教えてもらいました。
必死で仕事をしていた当時は色々なことがありました。
特に生活のための当直や出張麻酔もよい勉強や思い出になりました。
雪の降るある日、福島県の小さな町に初めてアルバイトに出かけ、仕事自体も心細く心配なうえ雪の積もる東北自動車道を3時間かけてやっとの思いで帰ってきました。
もう10時を過ぎていたと思います。医局に入ると教授をはじめスタッフが帰りを待っていてくれました。そして酒をのみながら色々な話をしたことを昨日のように覚えています。
厳しかったけれど先輩が身近かに感じられるアットホームな医局にお世話になったことが、今の私の医療に対する基礎になっていると思います。
最初の2年で将来の実力が決まる
恩師から常に言われていた事の一つに
「あることを始めるには初めの5年が大事であり、特に最初の2年で将来の実力が決まる」
という言葉がありました。
そんな教えも今になり解かるような気がします。
三つ子の魂百までもといいますが、いまでも「仕事と遊びは一流に」という教授の教えを目指しつつペインクリニックを開業しております。